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ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

原則で冠詞を捉える

ネイティブでない人が大人になってから外国語を取得するためには、「文法」はむしろ有り難い存在だと思っている。そういう体系をまとめておいてくれなければ、全部手探りでやらなければならない。母国語習得中の小さい子どもは驚異的な能力で、自分ですべての状況を分析して法則を見つけていく。しかし大人にはそんな能力はないし、それに小さな子どもと違って自分を取り巻いている状況もすでに複雑になってしまっているので、そこに対処できるだけの言語を扱う複雑な法則を自分で見つけろと言っても至難の業だ。

しかし文法を単なるルール、それも「細則」の集まりだと思ったら辛くなる。大人の知恵(?)をもってしても、いちいち全部覚えていられるものではない。

そもそも、ルールというものには2種類ある。「基本原則」と「細則」だ。細則というのは基本原則の具体的な運用例とでもいうべきものである。
だから、「基本原則」をしっかり理解していれば、細則は別に覚えなくても対処できるはずなのである。基本原則というのは、ちょっと乱暴ではあるが、それこそ「キモチ」と言ってもいいようなものだ。

日本の中学高校での英語教育で文法嫌いが増えてしまうのは、基本原則の理解をないがしろにしたままで、細則ばかりを覚えさせようとするからである。キモチが分かっていないのに、形だけなぞらせようとする。
もちろん、形をなんども「体験」していくうちにその根底にある「キモチ」が分かってくる、という方向はある。だがどうも、学校での英語教育はそういう視点にも欠けている気がする。基本原則、キモチを理解するために具体例をいろいろ挙げている、というわけではなく、ただ細則のみを近視眼的に見ているだけである。

蛇足ながら、これは英語に限らず、あらゆるところに言える、と私は思っている。政治的なこと、経済的なこと、社会的なこと、教育、等々、「理念」があいまいなままで対症療法ばかりにかまけているから、なんだかいちいち「右往左往している」という印象だ。

ま、それはともかく、具体的に、英語の「冠詞」のことを例に挙げて話す。

無意識に、人の名前にまでtheをつけてしまう日本人は多い。前に述べたように、theがいらないところにtheをつけてしまう間違いが冠詞については一番多いらしいのだが、ようするになんだかそのほうが「英語っぽい」気がしてしまうのだろう。だがもちろん、基本的には人の名前にtheはいらない。テストなどをすればほとんどの人は気づき
「そうそう、固有名詞にはtheはつけないのが『ルール』だったはず」と思う。

だから、「間違いがあれば正しなさい」という問題で
A: Guess what! I saw Tom Cruise over there!
B: You mean the Tom Cruise?!

などという文のtheを「あ~、間違いだ」と訂正してしまったりする。
でもこの例のthe Tom Cruiseは完全に正しい。それどころか THE Tom Cruise?と大文字で表記したいくらいである。

つまりこれは、
A:ねえねえ、そこでトム・クルーズ見ちゃった!
B:それって「あの」トム・クルーズのこと?!
もしかして同姓同名の別人、とかってオチじゃないでしょうね?ってキモチである。

theには「限定」のキモチがあるのでこうなるわけである。
普通は、固有名詞というものはそれだけで十分に「限定」されている。お互いが認識を共有していないのにいきなり固有名詞を使うってことは普通はない。
「そこで中島晴子に会っちゃったよ」
とだれかに言うのは、相手も中島晴子がだれであるか知っていると思うからこそである。
(もちろん実際のなりゆきでは「だれよそれ、知らないよ」となることはありうるが、そのときはそこで説明がなされるわけで、普通に流されるわけではない)
だからさらに限定するtheを使う必要がないから、
「固有名詞には定冠詞はつけない」
という「ルール」(のように見えるもの)が成りたつのだが、もうお分かりのように、これは本質的には先行する「ルール」ではなく、キモチから普通にそうなるだけのことなのである。

当然ながら「(いくつもあるうちのひとつとしての)とある~」という「キモチ」である不定冠詞だって、普通は固有名詞につきはしない。
だが、こういうことも成りたつ。

A: You got a call from a Ms.Brown a while ago.
B: Uh, OK. That's Ms. Brown at ABC company. I'll call her back.


A:さっきブラウンさんという方からあなたに電話がありました。
B:ああ、わかった。ABC社のブラウンさんだ。電話するよ。

電話を取り次いだ人は、Ms.Brownがなにものであるかはっきりは知らない。よって
a Ms.Brown で「ブラウンさんという方」と言っているのだ。この場合、Brownはもちろん固有名詞であっても、Aさんにとっては「普通名詞」のようなものである。世の中にBrownさんという人はいくらでもいて、「その中のひとり」でしかないから。

「話の中で最初に出てきたものに a をつけ、2回目以降ではtheをつける」
という「ルール」も、絶対ではない。
こういう「ルール」だ、と思っていると
A: Look! The koalas over there are sleeping.
B: I heard koalas usually sleep 20 hours a day.


A: ねえ! あのコアラ寝てるよ!
B: コアラってのは1日に20時間寝るんだってさ。

こういう例でも混乱する。
最初の the koalasは後ろにover there がついていて、文脈状「限定」されているのである。だが2番目の文では、「一般にコアラというものは」という意味で使っている(一般に~というものは、という意味で名詞を使うやり方についてはほかにもあるがまた後述する)。

この話はまだまだ続く。長くなりすぎるので一旦切るが、
ここで言いたいことは、重要なことは本質的には「ルール」ではなく「キモチ」であり、文法においても「細則」よりは、キモチの表現の土台となる「原則」を捉える方向で考えなければならない、ということである。

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